先輩に気を使ってしまう

 突然だが自分は先輩が苦手である。苦手と言っても嫌いだという意味ではない。距離感が掴めないのだ。同世代や後輩はそんなことはなく、普通に関われるのだが、どうにも先輩だけは20年生きてきて未だに関わり方が確立していない。

 

 これまで先輩に関わる場とは主に部活であった。中学を剣道部、高校をテニス部で過ごしたのだが、どちらも先輩と仲が良いというよりは後輩の方が仲が良かった。しかしその当時は先輩との距離感についてあまり深くは考えていなかった。なぜなら遊び相手は同期ばかりだったし、極端に言えば先輩と関わらなくても何不自由なく暮らせていたからである。

 

 ところが大学に入るとそうはいかなくなった。元々「大学という場所は、部活やサークルに入らないというのは考えられない、友達や恋人もそこでできるのだ」と散々聞いていたため、自分もあらゆる部活やサークルの新歓を回ったが、先輩との距離、関わる時間が中学高校の比ではないことを思い知らされ、それ故に大学一年生にとって先輩と仲良くなることは、それらの部活、サークルでの地位を確立し、充実した日々を過ごすために必須事項となった。

 

 自分は最終的に学祭運営サークルとテニスサークルに入ることになったが、ここでやはり苦労することになる。自分は、先輩といきなり仲良くなるのは不可能なので、まずある程度同期と仲良くなってから先輩と仲良くなろうと決めていた。しかし学祭運営サークルのほうは先輩はおろか同期とすら馴染めなかったのである。皆オーラがあり、誰を見ても怖かったので、友達を作ることができないまま時間が過ぎ、その間にも同期に色々なグループができ始め、そのグループが先輩と仲良くなり始め、遊び始め……と自分が置いて行かれているのを痛感した。知り合いが先輩に遊びに誘われているのを見ては凹みということを繰り返すうちに、もうここには自分の居場所はないのだと感じ、もう辞めようと何度も決意したのを思い出す。結局誰とも距離を縮められなかった自分は、もう一つのテニスサークルに賭けた。

 

 テニスサークルのほうは同期と仲良くなることができた。真の意味での親友とまではいかなくても仲が良い友達もでき、遊びも何回か行っていたように思う。しかしここでも先輩との関係はというと今一つだった。友達が先輩に遊びに誘われても自分は誘われないということが回数は多くないがあり、そこでも凹んでいたのを思い出す。テニスをしている時も、友達は先輩も同期も関係なく同じ態度で接することができており(敬語は使うにしろ)非常に羨ましかった。

 

 そもそも自分がなぜ先輩と仲良くなれないかだが、それは「気を使ってしまう」からである。どこまでの発言をして大丈夫なのか、今自分がこの行動を取って大丈夫なのか。そういったことを逐一考えるため、素の自分を出すことができないのだ。上の人間は敬わなければならないという考えが抜けないため、先輩という存在は自分の中でどちらかと言えば友達より上司に近い。いくらタメ語でいいとか気を使わなくてもいいと言われても、頭の中で勝手に「超えてはならないライン」を作り出し、それを超えないように必死に考えながら関わるという癖がどうしても抜けなくなってしまった。同時に先輩に気に入られたいとも思うゆえに、先輩がいる場ではノリが良くてはならない、面白い発言をしなければならないと勝手に思い込み、勝手に空回りし、疲れて終わるというサイクルを一体何度経験しただろうか。だから先輩との距離が未だに掴めないのだ。

 

 今現状はどうなっているかというと、結局テニスサークルのほうはダメだった。同期と仲良くても、先輩と仲良くなくては生きていけない世界であり、もう完全に先輩と仲良くなれないと悟った自分は、所属はしているが最後に行ったのはいつか覚えていない。手遅れだった。しかし意外にも前述した学祭運営サークルのほうは楽しく通えている。あれから嫌々ながらも、良くしてくれる先輩のために学祭までは続けようと決心して練習していたが、その過程で同期と仲良くなることができたのである。そしてやっと少し前からその先輩達にあまり気を使わずに接することができるようになった。おそらく時間が解決してくれたのであろう。まだ完全に気を使わない訳ではないが一緒にいて楽しいし、苦は全くない。しかしまた新しい環境に置かれると同じように気を使い、打ち解けるのに時間がかかるだろう。どうにかしてこの癖をやめることはできないだろうか…。