自分を変えられない人の大学生活

 近頃何をしに大学に行くのか分からない。朝起きて時計を確認し、遅刻はできないと切羽詰まりながら用意をして出た1限で睡眠。難しくなってきたから真面目にやらなければと決心した2限でスマホゲーム。そんな怠惰な生活がいつからか続くようになった。放課後はバイトか飲みか遊びといった誰にでもできるようなものに帰着し、そこらへんの適当な大学生に埋没しているのを痛感する。もちろん友達と遊ぶのは楽しい。楽しすぎて毎日毎日遊んでいたい。家に帰って1人になる時間があるなら友達とオールしている方が何倍もマシだ。そういった友達が何人もできたことを嬉しく思うし感謝もしている。だがふと、そこに中身はあるのだろうかと考えてしまうのだ。

 

 

 大学に入るまでは合格という大きな目標があった。そしてそれに向けて多様な努力をし、挫折し、それでも足掻き、自分の道を歩んできたと自負している。何をするときでも常にそれは心の中にあった。しかしそれが一旦叶ってしまえばその目標しかなかった自分は大きな指針を失い、どうしてよいのかがわからなくなってしまった。闇の中で光に向かって突き進むことはできるが、一旦その光を手にしてしまえば、それが眩しすぎて新たな光を探し出すことができないのである。だから頑張った経験というのは過去にしが存在せず、そのことについて流暢に語ることはできるが、「それで現在は何を頑張っているのですか?」と聞かれてしまえば何も答えることができない。 

 

 これまでの人生はゲームのようだ。大学受験というラスボスを倒すために武器や防具を揃え、高校受験のような中ボスもクリアしてきた。しかしそのラスボスを倒した頃には自分のレベルはほぼMaxになっており、倒せない敵などいなくなっていた。剣を一振りするだけでバッサバッサと敵をなぎ倒すことができ、自分が死ぬ心配など無い。それはそれで無双できて楽しいが、腕を磨き、技を磨き、常に危険と隣り合わせで簡単にクリアできない敵を戦術などを工夫して戦ってきたこれまでのチャプターは中身がある楽しさだったように思われる。今は脳死で突き進んでいるだけのような気がするのだ。

 

 

国公立大の一コマあたりの授業料は約2000円である。自分は睡眠をするために2000円を払い、スマホゲームをするために2000円を払い、挙句には授業を切って2000円を寄付している。そしてそれは自分のお金では無い。両親が自分の将来のためにと毎日働いて稼いでいるお金である。それを毎日ドブに捨てながら、「金が無い」を口癖に、はした金をバイトで稼ぐ。そんな大金を捨てて小銭を稼ぐという構図では借金が膨らむ一方だということは自明甚だしい。良い大学に入ったことを親孝行に思っていたが、内実は全くの親不孝だったのだ。だがそんな簡単なことに気づいたところで解決のしようがないのが現状である。意志の弱い自分はそんな現状を変えることはできない。寝て起きればまたいつものように2000円を捨てに行くだろう。

 

 

 そんな中でも新しいことに挑戦している人もいる。資格のために勉強したり、起業したり、ボランティアに行ったり、留学、旅行、あるいは真面目に勉強するということも挑戦だと考えている。そんな人を見ていると羨ましいし、尊敬もしている。自分を熱くする何かを見つけているというのはそれだけで大きなアドバンテージのはずだ。そしてその何かを見つける時間はたくさんあるようで実はない。自分は4年のうちの8分の1くらいは何も生み出さず捨ててしまったように思う。残りの8分の7だって同じウエイトではない。学年が上がるにつれて忙しくなり、挑戦できることにも限りが出てくる。あらゆる道が開かれているのはせいぜい2年生までだろう。自分はそんな数多の分かれ道の中心にいるのに、そこでまだ大丈夫とあぐらをかぎ、いつまでも怠惰な生活を送っている。もうシャッターが降ろされかけている道を見て見ぬ振りをしている。なぜなら自分を変えることができないから。

 

 

 本当は1日1日がチャンスだと気づいている。日々の生活に中身を与えるのも、自分を燃え上がらせるような強大なボスを生み出すのも、親孝行するのも、新しい道を歩みだすのも、全部自分だということに気づいている。でも変えられない。頭で理解していても心が動かない。だからこのブログを書くことを決めた。動きだすキッカケになるかもしれない。いや、ならないかもしれないがそこに可能性があるなら試してみる価値がある。少なくともそう思って実行できたことは小さな一歩だろうが確実な一歩だ。