成人式で見た大人

 とうとう先日成人式を迎えた。19歳だったが人生の節目となる祭典であったように思う。男子は殆どがスーツで参列しており、たまに袴も見られるといった様子で、一方女子はみな晴れ姿の着物であったから会場は色とりどりに彩られ賑やかなものとなっていた。ここには小、中学校や少しの高校の同期が集まるが、驚くほど変化している人もいて、声をかけられても全くわからないといったことも多々であった。こと女子においてはほぼ全員が可愛くなっており、中学からは想像もつかない成長を遂げていて、時間の流れの凄さを実感したのを覚えている。だがふと、大人とは20歳になるだけでそう呼べるのかと思うのだ。

 

 辞書で「大人」を調べてみると「一人前になること」と載っており、今度は「一人前」を引くと「成人であること」と堂々巡りをしてしまう。世間では子供に戻りたくなった瞬間から大人だとか、一人暮らしを始めたときから大人だとかいう意見があるが実はみんなよくわかっていないのではないだろうか。自分が小学生くらいの頃は20歳といえば自立した立派な大人に見えていたし、自分もそうなるのだろうと考えていたが、実際20歳になってみると心の中は小学生の頃となんら変わらないものだった。だから自分は今でも自分自身を大人とは思っていないし、もしかしたら大人だと思える日も来ないかもしれないとも思っている。そんな中でふと成人式で見かけた人のことを自分は率直に大人だと思った。

 

 

 その人は女子で、その中学時代というのは頭が良かったわけでもなく、行事を積極的に仕切るリーダー格だったわけでもなく、優しかったわけでもない。実は学年1荒れている不良だった。廊下でタバコを吸い、授業を抜け出し、同じく不良の彼氏を作り妊娠したりと文句なしの所業である。そんな人を当時自分は心底軽蔑していた。生産性がなさすぎるし、無意味で、人生においてマイナスしかもたらさない。ろくな大人にならないだろうと心の中で嘲笑っていたことを覚えている。それこそ成人式では馬鹿みたいに暴れまくっているのだろうと。

 

 

 そんな成人式の日、会場を友達と歩いているとふとその人のことが目に入った。案の定周りには地元の不良友達の袴集団がいたが、驚くことにその人は着物を着ておらず、私服で来ており腕には2、3歳くらいの子供を抱いていた。とても落ち着いた様子で、かつての勢いは皆無であり、会場の中心には近寄らず端の方で何人かと話しているだけであった。その光景を見たとき自分はその人のことを大人だと思った。成人という一生に一度の晴れ舞台にも関わらず着物を着ないということの裏にはおそらく様々な事情があるのだろう。それが金銭関係のものなのか親とのトラブルなのかはわからないが、それを気にせず子供を抱いて凛と立つその姿には、会場にいる騒いでるだけの人や写真を撮ることに必死になっている人とは全く異なるオーラがあった。噂でしか聞かないが、その人の父親の状況はよくわかっていない。だから今はもしかしたらシングルマザーなのかもしれない。その苦労は想像できないほどであろうがそれでも立派に子供を育て上げており、自分のことは二の次にしている姿勢を見て、とても及ばないと思った。自分が過去に見下していたその人がこんなに立派になって成人式に来るとは思わなかった。

 

 

 その人はどういうわけか終始会場の端にいたが自分の中では間違いなくあの場の中心にいて、浅い言葉などではなく立ち姿で語り、自分の考えを変えてくれた。同じ歳でもここまで差が出てしまうのかと自分が少し残念になったが、将来その人のようになりたいと思う。今まで一度も話したことがなく成人式でも話すことはなかったが、いつか大人とは何かを教えてくれたその人にこのことを伝えたい。