基礎を履き違えていた

暇なので自分にとって「基礎」という考えを話してみたい。

 

「基礎」とは何だろうか。幼少期から今に至るまで周りの大人達、本、メディアその全てで基礎は大切であるということを散々聞いてきたように思う。しかし自分はその意味を全く理解していなかった。それまで「基礎=簡単なこと=誰でもできる」という考えがいつまでも払拭できず、日々を過ごし、気づけば高校三年生にまで時が経ってしまった。しかし人生における基礎の考え方が転換する点がくる。それは大学受験失敗、いわゆる浪人生活であった。

 

 浪人するまでの自分の勉強法を振り返ってみると、そこに基礎を大事にした記憶は一度もない。それまでは基本的にはただ参考書の問題を解きまくり、行き詰まれば答えを見てその解法を覚えるという手法で、中学の定期テストに始まり、高校受験、高校の定期テスト、大学受験をこなしてきた。実際そのやり方で成績は上位に位置しており、自分でもこれが正しいやり方であると自惚れていた。しかしいつまで経っても数学は苦手科目であり、どうやっても成績が伸びず、数学の弱さを他の教科でカバーするという構図は一貫していた。だがそのやり方は前述の通り大学受験失敗という形で終わりを迎える。

 

 浪人という形で挫折を味わった自分はその生活を始めるにあたり「周りの言うことを素直に聞いてみる」ということを一つのモットーにした。何が正しいのか自分のコンパスで測ることができるほど成熟していないと思ったからである。そしてその際案の定予備校では基礎の大切さが説かれたが、そこではその基礎のレベルがかなり高いものであることに驚かされた。講師陣は今まで自分が解いていた参考書の問題のレベルの少し上くらいのものを基礎と言い張るのである。こんな難しいものを基礎と言われたらたまったもんではないと思ったが、何とか食らいつきその基礎と呼ばれる問題を何度も復習した。すると程なくしてあんなに低迷していた数学が右肩上がりの成長を見せ、高い位置で安定するようになったのだ。これには驚いたがそれと同時に自分が今まで応用だと思っていたものは実は全て基礎であり、それをいかに蔑ろにしていたかを思い知らされた。また物理においては定義などはあまり意識せず演習をしていたが、講師に「定義を蔑ろにする人に物理はできません」と言われてから綿密に定義について考察し、今まで勉強に使ったこともなかった学校の教科書を引っ張り出して定義を復習すると、こちらは偏差値60以上で安定する得意科目となった。この経験から決して「基礎=簡単」を指すものではないことを知ったのだ。

 

 果たしてこの基礎は勉強だけに通ずるものなのだろうか。自分はピアノを幼稚園年長から中学二年生まで習ったが今ではもう弾けないし、決してうまくない。その理由は今なら分かる。基礎を蔑ろにしたからだ。プロのピアニストでさえ基礎トレーニングである指使いを何度も何度も反復する。こんな練習をしたことはなかった。弾きたい曲の楽譜を見てすぐにそれを練習し、できない部分は誤魔化しで乗り切ってきた。あるいは球技。自分はかなり球技が下手だがこれもそうだ。学校の体育などの基礎は手を抜き、試合形式のものは本気でやる。ということを繰り返し、公園などでサッカー、バスケのドリブルや、バレーのトスを練習したこともない。こんなので上手くなろうというのは無理がある。先生はいつも基礎練習を大切にしろと言っていたが耳に入っていないのと同じことであった。

 

 今なら分かる気がするが、基礎に目を向けないものには何もできやしない。そしてその基礎とはどういう意味を持つのか、何を指すのかを認識していない人には致命的な停滞がおとずれるだろう。仕事、恋愛、学業、人間関係、全てに基礎は存在し、世の中の根底を貫く最も重要な概念の一つだろう。自分はこの大切さに遅いながらも気づけたことを幸いだと思うし、これから何かに取り組むにしろ、その基礎とは何かを考え、もう蔑ろにするつもりはない。もし何か成果が出ないことがあれば今一度基礎を見直せば開けるものがあるかもしれない、と考えている。