俺は人が平等に創られていると信じたい

 金持ち。貧乏。イケメン。ブサイク。頭脳明晰。バカ。 世の中は確実に上と下に分かれている。福沢諭吉は、天は人の上に人を創らず、人の下に人を創らず、その差は学問により生じる。と言ったが彼の眼は節穴だったのだろうか。こんな差は学問でどうこうできるレベルではない。生物全体を見渡すと、同じ種でこれほど差が広がっている動物はおそらく人間だけだ。他の動物の群れにも順序は存在すれど、一方が世の中のすべてを手に入れるような絶大な権力を持ち、一方が道端で物乞いをしなければ生きていけないなどという状態はあり得ない。人が平等だと信じることは、弱者が厳然たる事実に押しつぶされないよう、心を保つための綺麗事だ。そう思っていた。周りを見れば確実に自分の上位互換が存在し、すべてのステータスで負けていると感じる人間など山ほど見てきた。ではそのような人間は必要ないのだろうか。無価値なのだろうか。

 

 

 

ところでいきなりだが、この世の中心はどこに位置しているのだろう。政治家?アメリカ?物理法則?神? きっとどれでもない。言い方は悪いが、政治家が全員死のうが、アメリカが滅亡しようが、物理法則のパラダイムが転換しようが、神の怒りに触れようが、多分どうにかなる。生きていける。では何が消滅したときこの世の中は終わるのだろうか。そう考えたときおのずと答えは一つ、そう自分自身だ。この世の中心は自分自身だ。今この文章を読んでいる瞬間にあなたが死んだとき、もうその時点であなたにとっての世は消え去る。結局のところ、まず世の中があって、その中に自分が住んでいるのではなく、まず自分があってその中に世の中が広がっている。そう言えるのではないだろうか。

 

 

 

とすると人はみな自分の世界を持っている。それならばあなたが関わった相手の世界にはあなたが存在している。記憶の話をしているのではない。その相手がたとえあなたのことを覚えていなかったとしても、相手の世界にあなたが入り込んだことで、あなたはその人を良くも悪くも形成する要素となったのだ。そう考えたとき、その相手にとってそのスペースはあなた以外の人間でよかったのだろうか。その空いたスペースにあなたより金を持っている人間、あなたより顔がいい人間、あなたより頭のいい人間をぶち込めばよかったのだろうか。そうすれば結果はより良い方向に向かったのだろうか。そんなことは誰にもわからない。ただ確実にいえることはその相手の一部にはまぎれもなくあなたがいるということだ。

 

 

 

 

そう、自分の代わりは自分しかいないのだ。どれだけ努力し力を注いでも自分以外の人間が自分になることはできない。人の価値を決めるのは目に見えやすい、金、権力、顔、頭脳、エトセトラではない。その人はその人だという目には見えない唯一性だ。俺はキムタクになれないが、キムタクもまた俺にはなれないというのは馬鹿げているようで結構的を得たことを言っている。

 

 

しかし悲しいことに複雑な社会で生きていくにはある程度目に見える形で能力を身につけなければならなくなった。そして人々はいつしかその見えやすい部分にのみ価値を置き、他は二の次にしている感が否めなくなっている。だが、物事の本質は表面上に存在しないのはお約束だ。星の王子様でも述べられているように、大切なものは目には見えない。上辺のことで劣等感を感じるのは馬鹿らしいと思う。

 

 

 

周りを見渡せば自分の上位互換でありふれている。しかし自分自身はここにしか存在しない。天は人の上に人を創らず、人の下に人を創らず。人はみな誰にも取って代わられることのない平等な存在として創られていると俺は信じたい。

遺族でもなんでもない人

先日有馬温泉へ旅行に行った帰り、JR三田駅から自宅に帰ろうと駅に立ち寄ったのだが、その三田駅がある路線というのがJR福知山線である。それがなんだと考えるかも知れないが、この路線は全国的にも有名であるはずだ。なぜならこの福知山線は2005年4月に、死者107名、負傷者562名を出した戦後最悪とも言われる列車の脱線事故の当該路線だからである。16年前の事故であるが、自分が立ち寄った三田駅の改札には、その脱線事故をJRが謝罪する掲示が、ガラスケースに入れられて綺麗なまま保存されていた。

 

16年前といえば自分は5歳だ。記憶が定着し始めるギリギリの年齢であったために僅かながらも当時の状況は覚えている。朝、幼稚園に向かおうと支度をしていると、ブラウン管のテレビに電車がぐちゃぐちゃになった映像が流れていた。母親に「すごい?」と聞くと「こんなん見たことないわ」という返事が返ってきたのを覚えている。

 

当時幼い自分は遠い場所で発生した事故として他人事のように考えていたが、三田駅で謝罪文を見た後、興味を惹かれネットで調べてみると実は事故現場は自宅から自転車で1時間とかからない場所であったことが判明したのだ。しかもその福知山線は大学のサークル活動でも使用するテニスコートのすぐ横を通っており、自分の生活のすぐ近くにあった。そして以前大学の授業でこの事故を扱ったことがあり、事故の跡地が慰霊施設になっていること、一般客も立ち入ることができることを知っていた。それならば実際に行って見ようと思い立ち、今日その場所へと足を運んできたのだ。

 

 

事故の詳細は書かないが、大まかに説明すると、通勤ラッシュでかなりの人数の乗客が乗車している快速電車が、制限速度を40キロ以上オーバーしたまま時速120kmで急カーブに接近し、そのまま曲がりきれずに沿道のマンションに激突し、前述の死者、負傷者を出したというものである。

 

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写真を見ても明らかなように、現場は筆舌に尽くし難い状況で、乗客の様子は、四肢を切断する人、顔面の皮膚が捲れ上がる人、マンションの鉄柱に串刺しになる人、重なった乗客の下敷きになり内臓が破裂する人、眼球が飛び出して潰れ、温泉卵をちらしたような状態になる人など、普通に生活していればまずみることのない状態であった。原因は、運転士が手前の伊丹駅で停車位置をオーバーランし、電車が遅れたために、その遅れを取り戻そうと速度を出しすぎたのが原因とされている。(当時運転ミスをすると日勤教育と呼ばれるいじめのような仕打ちを会社側が課していたため。)

 

そんな現場を訪れると当時のマンションの下位層がそのまま保存されており、地下には資料館が併設されていた。剥がれたレンガや崩れたコンクリートが目に入ったが、個人的な感想としてはあれだけの速度で激突した割にはそこまでの被害にはなっていないなという感じだった。先に資料館を見学していると、後から若い女性が入ってきた。肌寒い春前の夕方の割に、薄手の服装で、髪は長く手にピクニックで使うような鞄を持っている。今日は月命日でもないため、遺族ではないだろうなと思って横目で見ていたが、その女性は壁面の資料は軽く見る程度で、あまり時間をかけずに出て行ってしまった。何をしにきたのかよくわからないなと思いつつも、一通りじっくり見て周り、18時過ぎの薄暗い地上に出た。

 

 

地上へ出て事故現場の方へ目を向けると、慰霊のモニュメントの前に先程の女性がいた。少し離れているのではっきりとは見えなかったが、石碑を長い間じっと見つめて棒立ちしていた。その後ろ姿を見たとき、自分は直感的に「ああ、遺族なんだな」と感じた。薄暗い夕焼けに照らされながら広場の真ん中で1人たつその姿に哀愁を感じ、独特の雰囲気を醸し出しているが故に近づくことすら出来なかった。

 

 

 

 

 

しばらく経つと彼女が出て行ったため、その石碑まで歩いていき、刻まれた文字を見た。そこには亡くなった方々の名前が刻まれていた。50音順に並んでおり、並びからして親子だと推察できるものもある。ここに刻まれている名前の一つ一つに自分と同じような人生があり、多くの知り合いがいたはずだ。死者数は107名であるため、その知り合いとなると1万人はこの事故に関わっているだろう。先程の女性もその中のはずだ。

 

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そんな状況に身を置いて自分の気持ちがよく分からなくなったまま、事故現場を見に行くと、今度はスーツを着た30代くらいの若い男性がいた。おそらく仕事帰りだろう。かなり仕事ができそうな見た目である。だが、そんな見た目とは裏腹に、その男性は事故現場の前に立って地面を見つめていた。この人もおそらく遺族であろう。その姿を見たとき説明など必要ないと思った。一本道であったために引き返したり立ち止まったりすると不自然極まりなかったので今度はその男性に近づいた。すると死角で隠れていた現場には沢山の花束、ジュース、酒、果物、千羽鶴などが置かれていた。

 

 

今日は3月15日。事故日は4月25日。先ほどの通り今日は何の日でもないはずだ。にも関わらず、花束はどれ一つ枯れることなく生き生きとしており、果物も腐ったりしてはいない。酒やジュースもそうである。毎日誰かがやってきてお供えしているのであろう。「この場所では時が止まっている」そう感じさせる現場だった。16年前、自分が今立っているこの目の前で107名が死んだ。ひしひしと伝わる残酷な現実に足がすくんだ。

 

 

自分はこの事故に直接関係はなかったが、もしかしたら未来で出会うはずの人がこの事故で亡くなっていたかもしれない。自分の先生、先輩、仕事仲間、後輩、この事故がなければそういう関係性になった人がいたかもしれない。あるいは過去であった人の誰か、これから先出会う人の誰かがこの事故の遺族かもしれない。刻まれた名前を見ていると自分も無関係ではないような気がした。若い男性はそのまま帰って行ったが、その後ろ姿を見た時自然と頭を下げていた。

 

 

JR福知山線脱線事故。今年で16年目を迎える。この事故自体を知らない人は最高で現在高校生だ。あの現場を見てここで起こった事実を風化させてはならないと感じた。自分もここに来るまではネットで調べただけで、事故の衝撃や、惨状をみて、やばいなというような感情しか抱かなかったが、実際に現場や遺族を見ると別の思いが込み上げてきた。こればかりは実際に行ってみないとわからない。だからこの感情を忘れないようにブログに残すことにする。

この事故で今も癒えることのない悲しみを背負って暮らしている人たちがいるという事実を知った時、我々にできることは忘れないようにその事実を心に留めておくことではないだろうか。小中高と過ごしてきたが、これはなにもこの事故だけではなく、戦争、災害、事件、さまざまな辛い現実を耳にしたり、知る機会があったはずだ。それらの事柄についても同様のことが言える。知って、心に留めておくことで、人との接し方や人の気持ちを察することもできるはずである。遺族を思いやることができるのは、遺族でもなんでもない人たちだ。

 

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先輩に気を使ってしまう

 突然だが自分は先輩が苦手である。苦手と言っても嫌いだという意味ではない。距離感が掴めないのだ。同世代や後輩はそんなことはなく、普通に関われるのだが、どうにも先輩だけは20年生きてきて未だに関わり方が確立していない。

 

 これまで先輩に関わる場とは主に部活であった。中学を剣道部、高校をテニス部で過ごしたのだが、どちらも先輩と仲が良いというよりは後輩の方が仲が良かった。しかしその当時は先輩との距離感についてあまり深くは考えていなかった。なぜなら遊び相手は同期ばかりだったし、極端に言えば先輩と関わらなくても何不自由なく暮らせていたからである。

 

 ところが大学に入るとそうはいかなくなった。元々「大学という場所は、部活やサークルに入らないというのは考えられない、友達や恋人もそこでできるのだ」と散々聞いていたため、自分もあらゆる部活やサークルの新歓を回ったが、先輩との距離、関わる時間が中学高校の比ではないことを思い知らされ、それ故に大学一年生にとって先輩と仲良くなることは、それらの部活、サークルでの地位を確立し、充実した日々を過ごすために必須事項となった。

 

 自分は最終的に学祭運営サークルとテニスサークルに入ることになったが、ここでやはり苦労することになる。自分は、先輩といきなり仲良くなるのは不可能なので、まずある程度同期と仲良くなってから先輩と仲良くなろうと決めていた。しかし学祭運営サークルのほうは先輩はおろか同期とすら馴染めなかったのである。皆オーラがあり、誰を見ても怖かったので、友達を作ることができないまま時間が過ぎ、その間にも同期に色々なグループができ始め、そのグループが先輩と仲良くなり始め、遊び始め……と自分が置いて行かれているのを痛感した。知り合いが先輩に遊びに誘われているのを見ては凹みということを繰り返すうちに、もうここには自分の居場所はないのだと感じ、もう辞めようと何度も決意したのを思い出す。結局誰とも距離を縮められなかった自分は、もう一つのテニスサークルに賭けた。

 

 テニスサークルのほうは同期と仲良くなることができた。真の意味での親友とまではいかなくても仲が良い友達もでき、遊びも何回か行っていたように思う。しかしここでも先輩との関係はというと今一つだった。友達が先輩に遊びに誘われても自分は誘われないということが回数は多くないがあり、そこでも凹んでいたのを思い出す。テニスをしている時も、友達は先輩も同期も関係なく同じ態度で接することができており(敬語は使うにしろ)非常に羨ましかった。

 

 そもそも自分がなぜ先輩と仲良くなれないかだが、それは「気を使ってしまう」からである。どこまでの発言をして大丈夫なのか、今自分がこの行動を取って大丈夫なのか。そういったことを逐一考えるため、素の自分を出すことができないのだ。上の人間は敬わなければならないという考えが抜けないため、先輩という存在は自分の中でどちらかと言えば友達より上司に近い。いくらタメ語でいいとか気を使わなくてもいいと言われても、頭の中で勝手に「超えてはならないライン」を作り出し、それを超えないように必死に考えながら関わるという癖がどうしても抜けなくなってしまった。同時に先輩に気に入られたいとも思うゆえに、先輩がいる場ではノリが良くてはならない、面白い発言をしなければならないと勝手に思い込み、勝手に空回りし、疲れて終わるというサイクルを一体何度経験しただろうか。だから先輩との距離が未だに掴めないのだ。

 

 今現状はどうなっているかというと、結局テニスサークルのほうはダメだった。同期と仲良くても、先輩と仲良くなくては生きていけない世界であり、もう完全に先輩と仲良くなれないと悟った自分は、所属はしているが最後に行ったのはいつか覚えていない。手遅れだった。しかし意外にも前述した学祭運営サークルのほうは楽しく通えている。あれから嫌々ながらも、良くしてくれる先輩のために学祭までは続けようと決心して練習していたが、その過程で同期と仲良くなることができたのである。そしてやっと少し前からその先輩達にあまり気を使わずに接することができるようになった。おそらく時間が解決してくれたのであろう。まだ完全に気を使わない訳ではないが一緒にいて楽しいし、苦は全くない。しかしまた新しい環境に置かれると同じように気を使い、打ち解けるのに時間がかかるだろう。どうにかしてこの癖をやめることはできないだろうか…。

 

 

成人式で見た大人

 とうとう先日成人式を迎えた。19歳だったが人生の節目となる祭典であったように思う。男子は殆どがスーツで参列しており、たまに袴も見られるといった様子で、一方女子はみな晴れ姿の着物であったから会場は色とりどりに彩られ賑やかなものとなっていた。ここには小、中学校や少しの高校の同期が集まるが、驚くほど変化している人もいて、声をかけられても全くわからないといったことも多々であった。こと女子においてはほぼ全員が可愛くなっており、中学からは想像もつかない成長を遂げていて、時間の流れの凄さを実感したのを覚えている。だがふと、大人とは20歳になるだけでそう呼べるのかと思うのだ。

 

 辞書で「大人」を調べてみると「一人前になること」と載っており、今度は「一人前」を引くと「成人であること」と堂々巡りをしてしまう。世間では子供に戻りたくなった瞬間から大人だとか、一人暮らしを始めたときから大人だとかいう意見があるが実はみんなよくわかっていないのではないだろうか。自分が小学生くらいの頃は20歳といえば自立した立派な大人に見えていたし、自分もそうなるのだろうと考えていたが、実際20歳になってみると心の中は小学生の頃となんら変わらないものだった。だから自分は今でも自分自身を大人とは思っていないし、もしかしたら大人だと思える日も来ないかもしれないとも思っている。そんな中でふと成人式で見かけた人のことを自分は率直に大人だと思った。

 

 

 その人は女子で、その中学時代というのは頭が良かったわけでもなく、行事を積極的に仕切るリーダー格だったわけでもなく、優しかったわけでもない。実は学年1荒れている不良だった。廊下でタバコを吸い、授業を抜け出し、同じく不良の彼氏を作り妊娠したりと文句なしの所業である。そんな人を当時自分は心底軽蔑していた。生産性がなさすぎるし、無意味で、人生においてマイナスしかもたらさない。ろくな大人にならないだろうと心の中で嘲笑っていたことを覚えている。それこそ成人式では馬鹿みたいに暴れまくっているのだろうと。

 

 

 そんな成人式の日、会場を友達と歩いているとふとその人のことが目に入った。案の定周りには地元の不良友達の袴集団がいたが、驚くことにその人は着物を着ておらず、私服で来ており腕には2、3歳くらいの子供を抱いていた。とても落ち着いた様子で、かつての勢いは皆無であり、会場の中心には近寄らず端の方で何人かと話しているだけであった。その光景を見たとき自分はその人のことを大人だと思った。成人という一生に一度の晴れ舞台にも関わらず着物を着ないということの裏にはおそらく様々な事情があるのだろう。それが金銭関係のものなのか親とのトラブルなのかはわからないが、それを気にせず子供を抱いて凛と立つその姿には、会場にいる騒いでるだけの人や写真を撮ることに必死になっている人とは全く異なるオーラがあった。噂でしか聞かないが、その人の父親の状況はよくわかっていない。だから今はもしかしたらシングルマザーなのかもしれない。その苦労は想像できないほどであろうがそれでも立派に子供を育て上げており、自分のことは二の次にしている姿勢を見て、とても及ばないと思った。自分が過去に見下していたその人がこんなに立派になって成人式に来るとは思わなかった。

 

 

 その人はどういうわけか終始会場の端にいたが自分の中では間違いなくあの場の中心にいて、浅い言葉などではなく立ち姿で語り、自分の考えを変えてくれた。同じ歳でもここまで差が出てしまうのかと自分が少し残念になったが、将来その人のようになりたいと思う。今まで一度も話したことがなく成人式でも話すことはなかったが、いつか大人とは何かを教えてくれたその人にこのことを伝えたい。

 

 

 

自分を変えられない人の大学生活

 近頃何をしに大学に行くのか分からない。朝起きて時計を確認し、遅刻はできないと切羽詰まりながら用意をして出た1限で睡眠。難しくなってきたから真面目にやらなければと決心した2限でスマホゲーム。そんな怠惰な生活がいつからか続くようになった。放課後はバイトか飲みか遊びといった誰にでもできるようなものに帰着し、そこらへんの適当な大学生に埋没しているのを痛感する。もちろん友達と遊ぶのは楽しい。楽しすぎて毎日毎日遊んでいたい。家に帰って1人になる時間があるなら友達とオールしている方が何倍もマシだ。そういった友達が何人もできたことを嬉しく思うし感謝もしている。だがふと、そこに中身はあるのだろうかと考えてしまうのだ。

 

 

 大学に入るまでは合格という大きな目標があった。そしてそれに向けて多様な努力をし、挫折し、それでも足掻き、自分の道を歩んできたと自負している。何をするときでも常にそれは心の中にあった。しかしそれが一旦叶ってしまえばその目標しかなかった自分は大きな指針を失い、どうしてよいのかがわからなくなってしまった。闇の中で光に向かって突き進むことはできるが、一旦その光を手にしてしまえば、それが眩しすぎて新たな光を探し出すことができないのである。だから頑張った経験というのは過去にしが存在せず、そのことについて流暢に語ることはできるが、「それで現在は何を頑張っているのですか?」と聞かれてしまえば何も答えることができない。 

 

 これまでの人生はゲームのようだ。大学受験というラスボスを倒すために武器や防具を揃え、高校受験のような中ボスもクリアしてきた。しかしそのラスボスを倒した頃には自分のレベルはほぼMaxになっており、倒せない敵などいなくなっていた。剣を一振りするだけでバッサバッサと敵をなぎ倒すことができ、自分が死ぬ心配など無い。それはそれで無双できて楽しいが、腕を磨き、技を磨き、常に危険と隣り合わせで簡単にクリアできない敵を戦術などを工夫して戦ってきたこれまでのチャプターは中身がある楽しさだったように思われる。今は脳死で突き進んでいるだけのような気がするのだ。

 

 

国公立大の一コマあたりの授業料は約2000円である。自分は睡眠をするために2000円を払い、スマホゲームをするために2000円を払い、挙句には授業を切って2000円を寄付している。そしてそれは自分のお金では無い。両親が自分の将来のためにと毎日働いて稼いでいるお金である。それを毎日ドブに捨てながら、「金が無い」を口癖に、はした金をバイトで稼ぐ。そんな大金を捨てて小銭を稼ぐという構図では借金が膨らむ一方だということは自明甚だしい。良い大学に入ったことを親孝行に思っていたが、内実は全くの親不孝だったのだ。だがそんな簡単なことに気づいたところで解決のしようがないのが現状である。意志の弱い自分はそんな現状を変えることはできない。寝て起きればまたいつものように2000円を捨てに行くだろう。

 

 

 そんな中でも新しいことに挑戦している人もいる。資格のために勉強したり、起業したり、ボランティアに行ったり、留学、旅行、あるいは真面目に勉強するということも挑戦だと考えている。そんな人を見ていると羨ましいし、尊敬もしている。自分を熱くする何かを見つけているというのはそれだけで大きなアドバンテージのはずだ。そしてその何かを見つける時間はたくさんあるようで実はない。自分は4年のうちの8分の1くらいは何も生み出さず捨ててしまったように思う。残りの8分の7だって同じウエイトではない。学年が上がるにつれて忙しくなり、挑戦できることにも限りが出てくる。あらゆる道が開かれているのはせいぜい2年生までだろう。自分はそんな数多の分かれ道の中心にいるのに、そこでまだ大丈夫とあぐらをかぎ、いつまでも怠惰な生活を送っている。もうシャッターが降ろされかけている道を見て見ぬ振りをしている。なぜなら自分を変えることができないから。

 

 

 本当は1日1日がチャンスだと気づいている。日々の生活に中身を与えるのも、自分を燃え上がらせるような強大なボスを生み出すのも、親孝行するのも、新しい道を歩みだすのも、全部自分だということに気づいている。でも変えられない。頭で理解していても心が動かない。だからこのブログを書くことを決めた。動きだすキッカケになるかもしれない。いや、ならないかもしれないがそこに可能性があるなら試してみる価値がある。少なくともそう思って実行できたことは小さな一歩だろうが確実な一歩だ。

 

 

 

 

東京への憧れ

今回は自分が東京に対して思っていることを書きまーす

 

 

 今まで自分が知っている最大の都会というのは大阪であった。ギチギチに高層ビルが立ち並び、小さい頃から単純にすごいと思っていたし、梅田や心斎橋に出て揃わないものは現在でもない。実際日本の都会ランキングでは東京の次に大阪が位置し、次いで横浜、名古屋、札幌とくるから大阪はかなりの都会と言って問題ないだろう。これまではそこで話は終わっていたが、少し前からこの大阪を超える東京とは一体どんなレベルなのかが気になりだしていた。

 

 そんなとき、受験で初めて東京を目にする機会がやってくる。18歳での出来事だった。新大阪から新幹線に乗り、車内で勉強をしていると、東京に近づくにつれ田園風景が徐々に変わり始め、建物が目立つようになった。品川のアナウンスが流れる頃には窓の外は目を見張るようなビル群に変わり、初めて来たという補正も相まって非常に興奮したのを今でも覚えている。

 

 東京駅で新幹線を降りると丸の内の景色が広がり、連結している中央線の電車に乗れば東京の街並みの中を駆け抜けていくことになって、テレビや映画、アニメで見た景色が眼前に広がることになる。山手線や東西線に乗り換えれば「君の名は。」で出てきたシーンもあり、非常に感情が高ぶった。また文京区を過ぎる際には中央大、青山学院大などのmarch群や、東工大なども目に入り、その立地の良さに驚きもしたことだ。

 

 ホテルに着き荷物を降ろした自分は、今朝からの興奮を抑えられず勉強などもちろんすることもなく東京観光へと出かけた。渋谷スクランブル交差点から始まり、原宿、銀座、六本木、新宿と各駅を降りて街並みを見て回ったが、まず何より人が多い。大阪も梅田、心斎橋においては相当な数がいるが特に渋谷と新宿では桁違いであった。

 思うに東京が大阪に対して一線を画している点はその都会の広さであろう。大阪も要所要所を切り取ればいい勝負はするだろうが、東京は言うなれば各駅が梅田や心斎橋の規模なのである。またそれぞれの駅が特徴を持っており、異なる文化が路線に繋がれた、数珠のようにして存在しているのも魅力の一つであるように思う。

 

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(東京の街並み)

 

 

 自分は滞在期間が1日と短くまだまだ見ていない場所が多い。それでも「東京に出たい」という人々の望みは容易に理解できるものとなった。これからの日本はより一層三大都市圏の開発が加速すると言われており、都市一極集中型になる可能性が高いが自分はそのようにして指数関数的に発展することで東京はニューヨークを抑え、世界都市としてトップに君臨できる日が来ると思っている。(もちろん弊害はあるが)そしてその時には自分は東京に移住している予定である。「東京は住む場所には向かない」と周りは言うが馬鹿の戯言でしかない。なんと言われようと行くと決めたら行く。東京は自分にとってそれほど大きな衝撃であったのだ。

 

基礎を履き違えていた

暇なので自分にとって「基礎」という考えを話してみたい。

 

「基礎」とは何だろうか。幼少期から今に至るまで周りの大人達、本、メディアその全てで基礎は大切であるということを散々聞いてきたように思う。しかし自分はその意味を全く理解していなかった。それまで「基礎=簡単なこと=誰でもできる」という考えがいつまでも払拭できず、日々を過ごし、気づけば高校三年生にまで時が経ってしまった。しかし人生における基礎の考え方が転換する点がくる。それは大学受験失敗、いわゆる浪人生活であった。

 

 浪人するまでの自分の勉強法を振り返ってみると、そこに基礎を大事にした記憶は一度もない。それまでは基本的にはただ参考書の問題を解きまくり、行き詰まれば答えを見てその解法を覚えるという手法で、中学の定期テストに始まり、高校受験、高校の定期テスト、大学受験をこなしてきた。実際そのやり方で成績は上位に位置しており、自分でもこれが正しいやり方であると自惚れていた。しかしいつまで経っても数学は苦手科目であり、どうやっても成績が伸びず、数学の弱さを他の教科でカバーするという構図は一貫していた。だがそのやり方は前述の通り大学受験失敗という形で終わりを迎える。

 

 浪人という形で挫折を味わった自分はその生活を始めるにあたり「周りの言うことを素直に聞いてみる」ということを一つのモットーにした。何が正しいのか自分のコンパスで測ることができるほど成熟していないと思ったからである。そしてその際案の定予備校では基礎の大切さが説かれたが、そこではその基礎のレベルがかなり高いものであることに驚かされた。講師陣は今まで自分が解いていた参考書の問題のレベルの少し上くらいのものを基礎と言い張るのである。こんな難しいものを基礎と言われたらたまったもんではないと思ったが、何とか食らいつきその基礎と呼ばれる問題を何度も復習した。すると程なくしてあんなに低迷していた数学が右肩上がりの成長を見せ、高い位置で安定するようになったのだ。これには驚いたがそれと同時に自分が今まで応用だと思っていたものは実は全て基礎であり、それをいかに蔑ろにしていたかを思い知らされた。また物理においては定義などはあまり意識せず演習をしていたが、講師に「定義を蔑ろにする人に物理はできません」と言われてから綿密に定義について考察し、今まで勉強に使ったこともなかった学校の教科書を引っ張り出して定義を復習すると、こちらは偏差値60以上で安定する得意科目となった。この経験から決して「基礎=簡単」を指すものではないことを知ったのだ。

 

 果たしてこの基礎は勉強だけに通ずるものなのだろうか。自分はピアノを幼稚園年長から中学二年生まで習ったが今ではもう弾けないし、決してうまくない。その理由は今なら分かる。基礎を蔑ろにしたからだ。プロのピアニストでさえ基礎トレーニングである指使いを何度も何度も反復する。こんな練習をしたことはなかった。弾きたい曲の楽譜を見てすぐにそれを練習し、できない部分は誤魔化しで乗り切ってきた。あるいは球技。自分はかなり球技が下手だがこれもそうだ。学校の体育などの基礎は手を抜き、試合形式のものは本気でやる。ということを繰り返し、公園などでサッカー、バスケのドリブルや、バレーのトスを練習したこともない。こんなので上手くなろうというのは無理がある。先生はいつも基礎練習を大切にしろと言っていたが耳に入っていないのと同じことであった。

 

 今なら分かる気がするが、基礎に目を向けないものには何もできやしない。そしてその基礎とはどういう意味を持つのか、何を指すのかを認識していない人には致命的な停滞がおとずれるだろう。仕事、恋愛、学業、人間関係、全てに基礎は存在し、世の中の根底を貫く最も重要な概念の一つだろう。自分はこの大切さに遅いながらも気づけたことを幸いだと思うし、これから何かに取り組むにしろ、その基礎とは何かを考え、もう蔑ろにするつもりはない。もし何か成果が出ないことがあれば今一度基礎を見直せば開けるものがあるかもしれない、と考えている。